「年末年始といったら桃鉄」───そんな一時代を築き上げたハドソンの人気鉄道すごろくシリーズ「桃太郎電鉄」ですが、原作者さくまあきらさんから今後新作は作らないことが発表され、その23年の歴史に幕を閉じました。その理由など、詳細は続きからどうぞ!
(つづき)
桃太郎電鉄は1988年12月2日、ファミコン用のボードゲームとして発売されました。原作者のさくまあきらさんは大の鉄道好きで、1年前に発売された桃太郎伝説制作時から鉄道ネタをゲームにしたいと考えていたとのことで、それが実ったのが桃太郎電鉄でした。サイコロを振ってコマを移動するすごろくタイプのゲームですが、新機軸の4人対戦や戦略の奥深さなどから人気を博し、PCエンジン版「スーパー桃太郎電鉄」で現在の基本的なシステムを確立、その地位を不動のものとしました。何より、4人対戦出来るため家族や友達とたっぷり遊べるのが特徴で、以降のボードゲームやクイズゲームなどに大きな影響を及ぼしたと言えるでしょう。
これまでにプレステやDS、Wiiなどのコンシューマ機はもちろん、ケータイやスマートフォンなどモバイルにも意欲的に展開してきた同タイトルですが、さくまさんは2011年12月11日のニコ生「小池一夫のニコニコキャラクター塾!」の中で「来年1月に発売されるドコモ携帯向けの『桃太郎電鉄 東海編』を最後にシリーズを終了させる」と発表しました。
理由はニコ生内でも話していましたが、さくまさんの公式ページのブログに詳細が書かれています。一部抜粋します。
加えて、『桃太郎電鉄11』~『桃太郎電鉄WORLD』まで、9年間働いてくれたスタッフの離脱は、『桃太郎電鉄』の新作を作る気力を急速に失わせた。
本当に、ハドソンのスタッフはよく働いてくれた。サラリーマンなんだから、仕様書の返事は、来週でもいいよ!と言っても、土日に返事をくれるし、ハードの問題で、無理なイベントも、何回もチャレンジして、最後はいつも実現してくれた。テスト・プレイの段階から、全然バグが出ないので、本当に仕事がやりやすかった。
その彼らが「桃鉄をずっと作り続けたかったけど、もう息苦しくて、あの会社にいたくありません」と言って、次々に辞めて行った。
真っ先に、Team Kawadaの川田忠之くんが辞めてしまった。美術担当のチーフ、音楽担当のチーフ、企画担当(ディレクター役)のチーフが、相次いで辞めた。私よりも何倍も、順応性が高い彼らが、我慢できずに退職してしまうような会社と、私が絶対上手くやって行けないとおもう。
さらに、岩崎誠は、契約解除を宣告された。岩崎誠を外した時点で、コナミは私に「『桃太郎電鉄』を作るな!」と言ったのと、おなじことを言った意識はなかったのだろうか?ひょっとすると、意識して言ったのかもしれない。
ケータイの『桃太郎電鉄』は、1年に2本作っていたけど、1年に1本でいいと言われた。当時もまだ会員数20万人もいたドル箱だったんだけどなあ…。おまけに、『桃太郎電鉄TOKAI』の宣伝はしないと言われた。やっぱりこれって「もう『桃太郎電鉄』はいらない!」っていうことだよね?
毎回コナミは「さくまサンが気持ちよく作れるように…」と言っていたけど、言葉とやっていることが全然違っていた。
そんな会社のために、『桃太郎電鉄』を作りたくないのが、本当の気持ちです。
さくまさんは、ユーザーの皆さんへの感謝でブログを結んでいますが、その文面からは悔しさと残念さが滲み出ています。
様々な評価はあると思いますが、桃太郎電鉄は、特にライトユーザー層の開拓者としてまぎれもなくゲーム業界全体に大きく貢献したタイトルです。そのシリーズの終焉は残念ですが、これまでの23年間の全てのスタッフの皆様に感謝いたします。
お疲れ様でした!そして、ありがとうございました!
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